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伝道の書 2:17 - Japanese: 聖書 口語訳

そこで、わたしは生きることをいとった。日の下に行われるわざは、わたしに悪しく見えたからである。皆空であって、風を捕えるようである。

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Colloquial Japanese (1955)

そこで、わたしは生きることをいとった。日の下に行われるわざは、わたしに悪しく見えたからである。皆空であって、風を捕えるようである。

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リビングバイブル

私はここまでわかると、生きているのがいやになりました。人生は不条理きわまりないからです。何もかもむなしく、風を追うようなものです。

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Seisho Shinkyoudoyaku 聖書 新共同訳

わたしは生きることをいとう。太陽の下に起こることは、何もかもわたしを苦しめる。どれもみな空しく、風を追うようなことだ。

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聖書 口語訳

そこで、わたしは生きることをいとった。日の下に行われるわざは、わたしに悪しく見えたからである。皆空であって、風を捕えるようである。

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伝道の書 2:17
20 相互参照  

自分は一日の道のりほど荒野にはいって行って、れだまの木の下に座し、自分の死を求めて言った、「主よ、もはや、じゅうぶんです。今わたしの命を取ってください。わたしは先祖にまさる者ではありません」。


どうぞ、わたしを陰府にかくし、 あなたの怒りのやむまで、潜ませ、 わたしのために時を定めて、 わたしを覚えてください。


主よ、人のいのちの、いかに短く、 すべての人の子を、いかにはかなく造られたかを、 みこころにとめてください。


わたしは日の下で人が行うすべてのわざを見たが、みな空であって風を捕えるようである。


わたしは心をつくして知恵を知り、また狂気と愚痴とを知ろうとしたが、これもまた風を捕えるようなものであると悟った。


そこで、わたしはわが手のなしたすべての事、およびそれをなすに要した労苦を顧みたとき、見よ、皆、空であって、風を捕えるようなものであった。日の下には益となるものはないのである。


そもそも、人は日の下で労するすべての労苦と、その心づかいによってなんの得るところがあるか。


わたしはまた、日の下を見たが、さばきを行う所にも不正があり、公義を行う所にも不正がある。


それで、わたしはなお生きている生存者よりも、すでに死んだ死者を、さいわいな者と思った。


しかし、この両者よりもさいわいなのは、まだ生れない者で、日の下に行われる悪しきわざを見ない者である。


目に見る事は欲望のさまよい歩くにまさる。これもまた空であって、風を捕えるようなものである。


霊はわたしをもたげ、わたしを取り去ったので、わたしは心を熱くし、苦々しい思いで出て行った。主の手が強くわたしの上にあった。


それで主よ、どうぞ今わたしの命をとってください。わたしにとっては、生きるよりも死ぬ方がましだからです」。


やがて太陽が出たとき、神が暑い東風を備え、また太陽がヨナの頭を照したので、ヨナは弱りはて、死ぬことを願って言った、「生きるよりも死ぬ方がわたしにはましだ」。


あなたは何ゆえ、わたしによこしまを見せ、 何ゆえ、わたしに災を見せられるのか。 略奪と暴虐がわたしの前にあり、 また論争があり、闘争も起っている。


もしわたしがあなたの前に恵みを得ますならば、わたしにこのような仕打ちをされるよりは、むしろ、ひと思いに殺し、このうえ苦しみに会わせないでください」。